このシリーズは、南区の特色ある公園をご紹介するもので、第一回は、「未来への宝物・別所沼公園」です。
この公園は、大宮台地の谷底にできた沼を中心につくられました。地元住民はもちろんのこと、関東大震災後、避難して来た文人墨客たちに愛されてきました。残念ながら周辺に住宅が建てられたことから水源としての湧水が断たれて水質汚濁が進んでいますが、市や市民の力で大切な自然が守られています。
「未来への宝物・別所沼公園」は、子どもたちの記憶の中に永遠の広場として深く刻まれてゆくことでしょう。
①年齢ごとにエリア分けした子ども広場
安心して子どもたちを遊ばせることができると、お母さんたちに人気のスポットです。また、カラフルな遊具も魅力です。

②ヒヤシンスハウス(風信子荘)
高架橋を降りると、直ぐ左手に木造の小さな家があります。この家は、昭和初期に活躍した詩人で建築家の立原道造が「風信子荘」と名付けたものです。彼は亡くなる数年前から自らの独居住宅を建てようと試案を重ねましたが、志空しく二十三歳で夭折しました。その後、詩人や建築家の呼びかけで市民運動が盛り上がり、二〇〇四年秋、彼の夢は別所沼畔に実現しました。
③赤い道トリムコース
「トリム」という言葉の意味は、一九六〇年代に流行った「トリム運動」から来た言葉で、心身のバランスをとるという意味のノルウェー語です。別所沼を一周する赤い道は、ジョギングやウオーキングの愛好家に大変人気のあるコースで一周九百四十メートルあります。
④様々な文学碑
・句碑
長谷川かな女は、大正、昭和初期に活躍した俳人。「昭和二十一年ころ、別所沼の付近一帯は、赤い曼珠沙華の花ですっかり埋まったものでした」と述べています。
曼珠沙華 あつまり丘を浮かせけり

・自然を歌った歌碑
鈴木幸輔は、秋田県出身で明治から昭和にかけて活躍した歌人です。北原白秋に師事し、「新樹」、「万歴」などを経て「長風」という歌集を創刊しました。
よく見れば 色小鳥ゐて かぎりなく 雨(あま)木(こ)隠(がく)りにあらわれて飛ぶ
・牧場の風景を歌った詩碑
神保光太郎は、昭和期の詩人でドイツ文学者。山形県山形市の生まれで二十九歳の時別所沼のほとりに家を新築し、活動拠点としました。数多くの高校等の校歌を作っていることでも知られています。詩碑には、別所沼の近くの牧場の風景を歌った詩が刻まれています。
沼のほとりを/めぐりながら
神をおもふ
水面に映る/ひとひらの雲
羊の孤独
⑤いろいろな彫像
浦和うなこちゃん像
別所沼の中ごろに突き出た森は弁天様をお祭りした弁天島です。その入り口に漫画家やなせ たかしデザインのうなこちゃんの像があります。うなぎのかば焼きは浦和の名物で、市内にはたくさんのお店があり、うなぎのかば焼きのまちとして知られています。
白亜の美人裸像
水辺にひっそりとたたずむ美人裸像。夏にはひまわりに囲まれ愁いを秘めて立っていましたが、季節はめぐり、今は真っ赤な百日紅が秋の日に輝いていました。辺りには人影もなく、赤トンボがじっと見上げているだけでした。
ダークミステリー?風の神像
一九八〇年にメキシコ州知事から送られたエヘーカトル・ケッツアルコトルという「風の神」の立像ですが、どこか遠野物語にでてくるカッパに似ていますね。カッパは人間に悪さをしますが、この像は、健康、豊作、及び知恵を市民にもたらす恵みの神です。
⑥季節の花園
公園にはたくさんの季節の草花が咲いています。そのいくつかをご紹介します。
沼畔の曼珠沙華
気高くかれんなスイレン
金の星のように輝くさざんか
水辺に咲くコウホネ
⑦美しい湖面の噴水
周囲の住宅化で沼の水源は断たれ、現在は工業用水によって沼の浄化が保たれています。二基の噴水は、沼の水に酸素を供給する役割を担っています。
⑧のびのび広場
ボール遊びや鬼ごっこなど自由に遊べる広場です。親子で遊ぶのも楽しいですよ。
⑨釣り人の憩いの場
手長エビや小魚など釣り人たちの格好のつり場となっています。かつては、湖畔にボート場があり、アヒルも水遊びしていました。

水辺に遊ぶ子どもたち
⑩豊かな自然
湖畔を縁取る背の高い木々は、「メタセコイア」と「ラクウショウ」。この他、桜や梅の林も見られ、公園全体が緑の木々に覆われています。
親にはぐれたコガモでしょうか。「寂しくない?」と、思わず声をかけました。
「弁天様」と親しまれる弁財天は、七福神の中の女神。金運、縁結び、恋愛成就などのご利益があると言われています。一度お参りしてはいかが。
●別所沼公園へのアクセス
埼京線中浦和駅から徒歩五分。同武蔵浦和駅から徒歩二十分 京浜東北線浦和駅からバス「別所沼公園」下車 駐車場有

●公園についてのお問い合わせ
さいたま市公園緑地協会 電話048・711・2290