南区さんぽ道

古里の坂道を訪ねて

ミナミとクー坊の「小さな旅」 第一回 古里の坂道を訪ねて


ミナミ

クー坊

今からおよそ三十万年前に出現したといわれる「大宮台地」。中山道を中軸として北は桶川市、南はさいたま市(南区)まで紡錘状に広がっています。

台地の南部周辺は溺れ谷が入り込んで複雑な地形となっており、低地からの高さは、七、八メートルもありますが、その落差が「坂道」となっているのです。
また、坂道にはそれぞれ愛称があり、市民に親しまれています。そこで、ミナミとクー坊の姉弟に南区内の代表的な坂道を訪ねてもらいました。
①焼き米坂
②観音坂

旅人や人夫たちが休んだ  焼き米坂

戸田の渡しで荒川を渡り、蕨宿を過ぎるとやがて一里塚が見える




街道沿いに建つ古刹「吉詳院」旅人はそっと手を合わせ旅の安全を祈願した

真っ赤な衣と頭巾姿の吉詳院のお地蔵さん
子どもの無事な成長を祈る母親の姿もあった

萬蔵寺横から右に折れると、街道に沿って青田が広がる


寺の境内には、宝永七年(1710年)に奉納された石仏がひっそりとたたずむ

中山道最初の難所「焼き米坂」軒を連ねた茶店の女が旅人に声を掛ける

往時を今に伝える焼き米坂の石碑
調(つき)神社を過ぎるとやがて浦和宿に至る

 

クー坊
「ボクが通っている南浦和小学校の下の中山道に「焼き米坂」と書かれた石があるんだ。
社会科の先生に聞いたら焼き米坂には、おだんご屋さんとか、お酒を出すお店がたくさんあったんだってね。焼き米ってなんだろうね。」

ミナミ
「おばあちゃんに聞いたら、お米をお鍋で煎ってしょうゆで味付けしたものじゃないかと言ってっていたわ」

クー坊「昔のスナック菓子っていうとこかな?」

ミナミ「そんなもんね」

クー坊「焼き米坂って、どんなとこだったの?」

ミナミ「よくわからない。お隣のものしりひげじいーに聞きに行こうか?」

クー坊「うん。そうしよう!」

ひげじいーの話

クー坊「焼き米坂ってどんなとこだったの?」

ひげじいー「まず、中山道は、江戸・日本橋から京都・三条大橋まで六十九宿。その三番目の宿場町が浦和宿じゃよ。最初の宿場町は板橋宿で、次の蕨宿を過ぎると、「辻の一里塚」に着く。ここから国道十七号を横切ってしばらく行くと急な坂にかかる。そこが「描き米坂」じゃ」

ミナミ「日本橋から浦和宿までどのくらいあったの?」

ひげじいー「およそ二十四キロじゃ。宿場と宿場の間には、「立て場」があった。旅人や人夫が駕籠(かご)や荷物を下して杖を立てかけて休憩したところじゃ。そこには茶店があって旅人たちにその土地の名物を提供してたのだよ」

クー坊「そこが焼き米坂だったの?」

ひげじいー「今日のクー坊は冴えてるなあ。この辺りには焼き米のほかに、だんごを売る店が五軒、よしず張りの水茶屋が二十軒、居酒屋が六軒あったといわれているのじゃ」

ミナミ「小学校の塀の下には「焼き米坂」と書いた石碑が建っているんだけど、昔はにぎやかだったのね」

ひげじいー「描き米坂は、かなりの急こう配だったから旅人にとって最初の難所に思えたようだね」

古文書に見る焼き米坂

「木曽道中懐室図鑑」を見ると、「此所年中焼き米を売る。名物なり。よって焼き米坂と云へり、本名はうらわ坂と云ふ」とあります。また、「木曽名所図会」には「白幡村に焼き米を袋に入れて、あきなふなり」とあります。旅人や人夫はここでひと息ついたのでしょう。眼下には。広大な田んぼが広がり見晴らしもよかったに違いありません。この先には、こま犬の代わりに、こまウサギがお使いの調(つき)神社があります。

調(つき)神社のウサギの石像
境内に何匹いるか数えてみるのもおもしろい。

 

み仏の慈悲を願って観音坂

長くて急な観音坂。斜面林の緑も色濃い
上り下りする人もひと苦労

墓石に囲まれた観音堂
周りの田畑は住宅地になった

寒々とした冬枯れの観音堂境内
やがて訪れる爛漫の春を待つ桜も

毛糸の帽子がお似合いの六地蔵菩薩
これからスキーにお出かけですか
六地蔵菩薩に唱える御真言 
六回唱えると願いが仏さまのみ心に届く


ビル風にさらされながら風雪に耐える御堂
かつて聞こえた上げひばりの声も今はない

 

ミナミ「クー坊、あの看板、読める?」
クー坊「かんおんさか?」
ミナミ「ブー!かんのんざかと読むのよ」
クー坊「へえ、でもなんで観音坂っていうの?」
ミナミ「ほら、国道の先に小さなお堂があるでしょ。あれが観音堂よ」
クー坊「そうか!それで観音坂っていうんだね」
ミナミ「ピンポーン!」
クー坊「でも、観音って何なの?」
ミナミ「仏さまよ。でも。よくわからないから、隣のひげじいーに聞いてみようか?」
クー坊「うん、そうしよう!」

ひげじいーの話
ミナミ「子どもの頃、よく遊んだけど「白幡観音」の観音さまってどんな仏さまなの?」
ひげじー「仏さまは大きく分けると「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」と四つある。それぞれ役割分担があるのじゃ。如来は悟りをひらいた仏さま、菩薩は悟りの世界と現世を結び付けてくれる。明王は悪者をこらしめてくれる仏さまで、天は仏さまの守護神じゃ」
クー坊「学校でも役割分担があるよ。友だちのアツくんは給食係、ぼくは飼育係で毎日ウサギにエサをあげるの」
ミナミ「仏さまとウサギを一緒にするなんてバカね」
ひげじー「いや、いや、クー坊はウサギの守護神だから、立派なものじゃよ。それでな、観音さまは観音菩薩といって、阿弥陀仏にお仕えしている仏さまじゃ。観音さまの正式名称は、観世音菩薩とか観自在菩薩といって、優しい仏さまじゃよ」
クー坊「お姉ちゃんも観音さまのように優しいといいのにね!」
ミナミ「コラッ!」

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南区には、白幡観音堂の他に二つの観音堂があります。一つは「足立坂東十二番霊場 廣田寺」で、「沼影観音堂」として親しまれています 。武蔵浦和駅の田島通りにあって、児童公園があることから、ここの六地蔵はベビー服を着ていて、お母さんたちに人気があるようです。また、正面のマキは、市指定の天然記念物となっています。

コラム

長い参道の奥にひっそりとたたずむ沼影観音堂
左手の大木はマキで市の天然記念物に指定されている

中世の豪華な彫刻に彩られたお堂
観音さまの慈悲のまなざしが感じられる

ちょっと眠そうなお顔のお地蔵さん
左手に宝珠、右手に錫杖を持っている

左手の蓮の花は私たち。右手は仏さまを表す
沼影観音さくら
 
観音堂境内にある児童公園
桜のころには元気な子どもたちの声が響く

もう一つの観音堂は。「足立坂東十四番霊場 四谷観音」です。沼影観音と同じ田島通りの四谷交差点にありますが、六地蔵はありません。

修復された四谷観音堂
往時の華やかなおもかげが蘇った

足立坂東三十三か所観音霊場

足立坂東三十三か所観音霊場は、宝永二年(1705年)に坂東三十三か所観音霊場になぞられて開かれた霊場めぐりです。さいたま市、川口市、戸田市、蕨市、鳩ヶ谷市、東京都北区等の寺院などをもって定められています。なお、西国観音霊場三十三カ所、秩父観音霊場三十四カ所、坂東観音霊場三十三カ所をあわせて百観音霊場といわれています。
1観音寺(大宮区高鼻町)、2郭信寺(浦和区北浦和)、3瑞岸寺(緑区本太)、4普門寺(緑区太田窪) 5三室堂(緑区三室) 6清泰寺(緑区大牧) 7観音院(川口市柳崎) 8福驟院(南区大谷口)9二つ堂(川口市芝塚原)、10宝性寺(南区南本町)、11観音堂(南区白幡)、12廣田寺(南区沼影)、13如意輪寺(桜区田島)、14観音寺(南区四谷)、15普門寺(南区内谷)、16徳祥院(戸田市美女木)、17平等寺(戸田市下笹目)、18観音寺(戸田市新曾)、19海禅寺(戸田市上戸田)、20三学院(蕨市蕨)、21三蔵院(蕨市下蕨)、22常福寺(戸田市下戸田)、23観音寺(東京都北区浮間)、24善光寺(川口市金山町)、25最勝院(川口市飯塚)、26並木庵(川口市横曾根)、27良光院(川口市下青木)、28千手院(鳩ヶ谷市鳩ヶ谷)、29地蔵院(鳩ヶ谷市浦寺)、30真乗院(川口市石神)、31木曾呂堂(川口市木曾呂)、32観福寺(川口市前川)、33定正寺(蕨市塚越)

南浦和駅西口裏にある宝性寺
ここは第十番観音霊場として知られる

美女木と内谷の境にたたずむ普門寺
第十五番観音霊場としての品格が漂う

 

地獄に落ちた人を救う「地蔵坂」

短いが傾斜は一番きつい地蔵坂
行きはよいよい、帰りは恐い」という歌が出そうだ
享保四年(1719年)建立された地蔵尊
建立したのは白幡村の念仏講の人たち 

ミナミ「観音坂の隣が地蔵坂。仏さまフアンのツウトップ、観音さまとお地蔵さんがお隣さんどうしね。ちょっとおもしろいわ」
クー坊「観音さまは分かったけど、お地蔵さんってどんな仏さまなの?」
ミナミ「子どもの守り神的存在ね」
クー坊「えっつ、ぼくたちを守ってくれるの?」
ミナミ「生きている子どもはもちろんのこと、不幸にして亡くなった子どももあの世で守ってくれるらしい」
クー坊「ふーん、やさしいんだね」
ミナミ「一度、京都で地蔵盆というお祭りを見たことがあるけど、八月二十三日、二十四日の地蔵菩薩の縁日が近づくと、お地蔵さんを洗い清めて、新しい前掛けを着せて、お化粧するの。お花やお菓子もお供えするわ。地蔵尊と子どもの名前を書いたちょうちんも飾る」
クー坊「子どもたちは、何するの?」
ミナミ「お菓子を食べたり、ゲームをするらしいわ」
クー坊「へえ、楽しそうだね。でも、こっちの方にもお地蔵さんがあるのに、なぜ地蔵盆がないのかなあ」
ミナミ「じゃあ、物知りのひげジーに聞いてみようか?」
クー坊「うん、そうしよう!」

ひげじーの話

ひげじー「この前は観音さまだったが、今度はお地蔵さんだって!」
ミナミ「うちの近くに地蔵坂という坂道があるの知ってる?」
ひげじー「そりゃあ、よく知ってるよ。同じ町内だからな」
クー坊「姉ちゃんの話だと、京都には地蔵盆があるけど、なぜ、こっちにはないのか知りたかったの。あれば楽しいのにね」
ひげじー「これはちょっと難しい話だなあ。京都では、室町時代に地蔵盆が大流行したという話をきいたことがあるが、東京では、江戸時代にお地蔵さんが作られたようじゃな。でもな、このころはお稲荷さんの信仰が盛んだったのじゃ」
ミナミ「おキツネさんにお地蔵さんが負けたのかなあ」
クー坊「残念だなあ!お地蔵さんが勝てば、お菓子も食べられたし、ゲームもできたのにね」
ミナミ「クー坊は食べることと遊ぶことしか関心がないのね。たまには勉強のことを考えなさい!」
ひげじー「クー坊、とんだヤブヘビだったな」

苦難から人を救う六地蔵

「白幡観音」と彫られた石の門を入ると、ピンクのあぶちゃんに毛糸の帽子をかぶった六体のお地蔵さまに迎えられます。「六地蔵」といって天道、地獄道,餓鬼道、修羅道、人間道、畜生道をお地蔵さまがめぐって人々の苦難を救うという「六道思想」に基づいて造られたものです。
お寺にはかならずっといっていいほどある六地蔵ですが、このお堂の六地蔵の裏側には
正保元甲申歳九月九日
道金禅定門   願主 宇田川弥左衛門

虚巌性空禅定尼    同氏太兵衛
とありました。
これによって正保元年(一六四四)九月九日に宇田川弥左衛門と同氏太兵衛が道金禅定
と虚巌性空禅定尼のために造立したものと分かります。

大工道具曲尺(かねじゃく)に似てる?「曲坂(かねざか)」

だらだらと続く曲坂
この道は白幡沼に通じている

逆さイチョウの伝説で知られる真福寺
墓地の先は奥東京湾の海が広がっていたという


小柄でちょっと可愛い感じの六地蔵
大イチョウのふところでいつも眠っているようだ

市指定天然記念物の大イチョウ
逆さイチョウの異名を持っている

曲坂裏の坂道にたたずむ青面金剛
江戸時代、庚申信仰に基づいて建てられた

古代遺跡が発掘された別所小学校
弥生時代後期から古墳時代中期の住居跡が発見された

曲坂を下ると白幡沼に至る
台地からの湧き水がせきとめられてできた沼地

ミナミ「この坂道、何でかね坂っていうのか知ってる?」
クー坊「大判、小判が埋まっていたのかな」
ミナミ「すごい想像力!花咲じじいみたいに犬がここ掘れワンワンと鳴いたので、掘ったら大判。小判がざっくざくというおとぎ話ね」
クー坊「違うの?」
ミナミ「残念でした!かねというのは、大工さんの道具で、直角に折れ曲がった形に作られた金属製の物差しのことらしいのよ」
クー坊「物差しと坂道、何か関係があるのかなあ?」
ミナミ「それそれ!それがよくわからないのよ」
クー坊「ひげじーに聞いてみたら?」
ミナミ「それが一番ね!」

ひげじーの話

ひげじー「大工道具だってよくわかったな。ミナミはえらい!」
ミナミ「隣のおばあちゃんに聞いたんだけど、それと坂道がどう関係しているかが、よくわからないの」
ひげじー「実際に歩いてみればわかるのじゃがなあ。 まず、別所坂から真福寺前を過ぎると別所小学校の裏門が見えるじゃろ。その先を右に曲がると正門に行く道が続いておる。ここが肝心なところじや」
クー坊「ぼくたちもそっちに曲がったよ」
ひげじー「何か感じなかったかい?」
ミナミ「わかったわ!その曲がり角が曲尺のように直角なっているから、かね坂というのね」
ひげじー「さすがミナミ!感がいいねえ。ここからは、じいーの推理じゃが、今までミナミたちが調べてきた坂道は。坂の上から坂下まで 崖をまっすぐに下っているね。ところが、この曲坂は崖と平行に下っている。なぜだと思う?」
ミナミ「お墓の南側は、断崖絶壁のようになっているから、まっすぐに降りられなかった?」
ひげじー「名探偵ポワロも顔負けじゃな!真福寺のイチョウには、逆さイチョウの伝説がある。その伝説では、イチョウは、船の目印だったというから、ミナミが言うように崖下は海だったので直接降りられなかったんだ」
クー坊「だから崖ぷちに沿って坂道ができた?」
ひげじー「わしはそう思っている。それと別所小学校の校庭から十七基の竪穴住居跡が発見され、弥生時代や古墳時代の土器や勾(まが)玉なども発掘されている。古代人は、この坂道を下り、白幡沼の湧き水を使って稲作をやっていたのじゃないかと思っている。
白幡沼は、明治時代の航空写真を見ると、かなり大きくて別所沼の半分ぐらいあったようじゃな。十七基の住居跡には、百人近い古代人が生活していたんじゃないかと、わしは思っている」
ミナミ「ちょっとした団地ね。夕陽がまぶしいたそがれ時、子どもたちを真ん中にして夫婦が我が家に帰って行く。なんだかほほえましい感じね。ひげじいーの話を聞くと、ますます坂道が好きになってくるわ」
クー坊「そうだね!」
ひげじー「坂道にはドラマがあるか。泣けるねえ」

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その昔、台地の下が海だったころ、この木を目印にして船が入って来たという。この木はもともと船をつなぐために。イチョウの杭を逆さに打ったものが根付いたと伝えられています。このような伝説は、白幡の医王寺にもあります。洪水のとき、船を留めるために打ったイチョウの杭が根付いたというもので。大正時代末期に切り倒されたといいます。

 

 

 

南浦和駅前通り「一ツ木坂」


一ツ木坂
大宮台地の南端に当たる南本町、神明地区
大谷場貝塚や一ツ木遺跡から貝や住居跡が発掘された

大谷場氷川神社社殿
大谷場の鎮守として知られる大谷場氷川神社
キジの氷川さまとして参詣人が絶えない

夫婦のキジ
右手には仲睦まじい夫婦のキジ
母親のキジ

左手には三羽の仔キジを育む母親のキジ
いずれも神の使いとしての威厳が感じられる

「希望」という銘が刻まれた少女像
その可憐な姿は文化センターに添える

桜並木に囲まれた一ツ木公園
子どもたちが自由に遊べる広いスペースがある

クー坊「ぼく、この辺に来たのは初めてだけど、どこへ行っても坂ばかりだね」
ミナミ「そうね。南本町や神明辺りは、高台になっているけど、根岸や文蔵はかなり低いわね。友だちと図書館裏の根岸前公園で遊んだことがあるけど、そこから根岸や文蔵の家並みがよく見えたわ」
クー坊「姉ちゃん、一ツ木通りと文化通りの交差点のところに、こんもりとした雑木林がみえるけど、あれなんだろうね?」
ミナミ「よくわかんないけど、行ってみようか!」
クー坊「ずいぶん急な坂だね。あれっ、こんなところにハトの石像があるよ」
ミナミ「ハト?ちょっと大きすぎない」
クー坊「あっ、わかった。ニワトリだ」
ミナミ「ニワトリ?でも、トサカがないよ」
クー坊「やっぱり、ひげじーに聞いた方がよさそうだね」
ミナミ「そうしょうか!」

ひげじーの話
ひげじー「今日は、ずいぶん遠くまで出掛けたようじゃな?」
ミナミ「クー坊と南浦和図書館に行ったの。それから駅前の高台にある神社に行ったんだけどね」
クー坊「変なものがあったんだ。ハトのような、ニワトリのような鳥の像」
ひげじー「それはなあ、キジじゃよ」
クー坊「えっつ、キジなの?桃太郎の鬼退治に出てくるキジ?」
ひげじー「そうじゃ。あの神社は大谷場氷川神社といってな。キジの氷川さまとして親しまれているのじゃ」 
ミナミ「神さまのお使いね。浦和の調(つき)神社はウサギさん。みんなかわいらしいわ」
ひげじー「普通、神社の門前には、狛(こま)犬というのが置かれていて神社を守っている。それとは多少ニュアンスが違うが、神使(しんし)、とか、神使いとして鳥類、爬虫類、哺乳類など置かれているのじゃ。クー坊がハトとかニワトリといったが、ハトは八幡宮、ニワトリは伊勢神宮のお使いとなっているぞ」
ミナミ「 そういえば、秩父の三峯神社は、オオカミだったね」
ひげじー「そう。金比羅山はカニ、春日大社はシカ、京都の北野天満宮はウシじゃ」
クー坊「おもしろいね。お稲荷さんはキツネかな?」
ひげじー「そうじゃ」
ミナミ「今日は、文化通りの一ツ木坂を上ったけど、かなりの急坂だった。南浦和周辺は、どこへ行っても坂だらけといった感じがしたけど、どうなっているんだろう?」
ひげじー「南区は西側よりも東側の方が入り組んだ地形になっておる。地名を見てもわかる。例えば、大谷口、大谷場、広ケ谷戸という地名には、谷がついている。太田窪
の窪は窪地、根岸の岸は水辺じゃ。このように地名は、地形、地質、景観などを表わしておるのじゃ」
ミナミ「確かに根岸の地形を見ると、ほとんどが大宮台地の南側の崖っぷちに沿って広がっているね」
ひげじー「大宮台地は一般に西側と南側が高いところが多く、海側は急な崖地になっている。一方、東側と北側はゆるく傾斜して低くなっている。特に南浦和の台地の裾には、古い荒川の流れが流れ込んで複雑な地形となっておるのじゃな。だから坂や窪地が多いのじゃ」
ミナミ「一ツ木坂の坂下に立つと周りが坂だらけで雨が降ると水たまりになるような気がするわ」

コラム①大谷場氷川神社と大谷場貝塚

大谷場、南浦和、神明の(一部)は、かつて大谷場村といい、氷川神社は、その鎮守でした。江戸時代の寛文六年(1668年)の棟札があると記録されています。
建物の形式は、見せ棚造りで、三間社流れ見せ棚造りに属し装飾が多く、市有形文化財に指定されています。主神は、スサノオノミコトなど二神です。また、境内の百合の木は、市の天然記念物となっています。
同じ台地上には、縄文時代前期の大谷場貝塚があり、十七基の貝塚が発掘されました。捨てられた貝は、マガキ、ヤマトシジミが主で、この他ハマグリ、シオフキ、オキシジミ、オオタニシなど海水産、淡水産の貝で、シカの角や大きな鳥の骨もありました。また、近くの一ツ木遺跡からは、土器とともに住居跡が多数発掘されました。

 

濃い緑に囲まれて鎮座する本殿
寛文六年(1668年)の棟札がある

ベンガラの紅が美しい薬師社
親しみやすい雰囲気に人気がある

キジの氷川さまとして親しまれる氷川神社
雑木林に囲まれて社殿がひっそりとたたずむ

女坂
境内の南側には急な男坂がある
ここは緩やかな女坂。上り口には紅梅が咲いていた

チュウリップのような花をつける百合の木
北米原産で明治時代初期に渡来したという

②神明坂

 神明坂は、南区と浦和区の境に位置し、浦和神明郵便局前の通りを中山道方面に下る急な坂をいいます。付近には、雑木林に囲まれて阿弥陀堂がひっそりとたたずんでいます。
これまでご紹介した坂道は、昭和四十三年に市民から道路愛称募集をして命名されたものです。南区では、この他にも南大通り(大谷場)、桜坂(大谷口)、富士見坂(太田窪)、庚申坂(大谷場)などがあります。


神明坂

お年寄りには過酷な坂道
沿道には、若者向けの住宅増えた

雑木林に囲まれてたたずむ阿弥陀堂
阿弥陀如来は亡くなった人の魂を迎えに来るという

次回の「ミナミとクー坊の小さな旅」は『神さびる鎮守の社(もり)を訪ねて』です。

参考文献
わがまち浦和 浦和市
中山道ぶらり歩き 笠松治良著 文芸社
さいたま市地名の由来 青木義脩著 幹書房
雄文社出版企画室 
大宮市史 大宮市役所
浦和を知る事典 青木義脩著 さきたま出版会
仏像の本 廣瀬郁美著 山と渓谷社
仏像はやわかり小百科 春秋社編集部編
地図で見るさいたま市の変遷 日本地図センター